光野桃『私のスタイルを探して』(新潮文庫)

私は熱心になったことはとことん追求するほうなんだけど、なぜか今まで、ファッション、おしゃれ方面には関心が向きにくかった。女性にしては珍しい?そうかな。
なぜかと理由をつらつら考えてみると、ファッションの道って奥深そうだから、敷居が高く感じてたのだった。ただたんに、ブランド物を着る、とか、流行を追いかける、ではなく、私に似合う、私を引き立てる、私を表現する、そういうファッションを追及するって、お金も、時間もかかる。(でもって、いまの私に一番ないのが「お金」だったりします……。)

でも、ある程度年齢が上がると、否が応でもTPOに合わせた服を着なければいけなかったり、服に無頓着でいられなくなるんですよね。また、上にのべた「表現すべき私」っていうのが、割とできてきているので、あまりちぐはぐな格好ができなくなる。
若さっていうのはとても特権的なもので、本当にラフな格好でもなんでも、似合う。また、世の中って若い子向きにファッションも展開されているから、チープでかわいい服なんてすぐ手に入るしね。
しかし、ちょっと大人になると、そういう「若さ」だけの「華」というものは、どうしても目減りする。だから、年齢が上がれば上がるほど、女性として、どういう装いがしたいのかっていうことは、一度じっくりと考えてみないといけないことではないかと思う。

で、そんな時の出会ったこの本。引用します。

 おしゃれの根本は「プラス」することだと思っている。なぜなら、おしゃれというのは本来、大人のためのもの、それも三十代後からのためのものである、と考えるからだ。
 若い頃に比べて衰えてきた肌、痩せてきた髪といった外見上のハンディに、色や装飾をプラスする。それが人間の編み出してきた生きる知恵としての「おしゃれ」だと思う。
 外見上の衰えは、内面の充実や円熟と反比例する。だからプラスすることによって、外見上のハンディを克服すると同時に、年を取ったことによる内面の充実をファッションによって表現する、それがおしゃれの本来の役割であろう。

引用箇所の直前では、「シンプル・イズ・ベスト」という日本の美意識に対する批判がなされていた。筆者はヨーロッパ(おもにイタリア)の価値観を下敷きに書いているが、こういう意見ってとても納得できる。
日本は年齢によるファッションの輪切り意識が強い。この年なら、あるいは、この立場なら(おかあさんとか)、そういうファッションは許されない、ファッション的には地味にいくべきだ、っていう考え方が強い。だけど、本当はファッションってそういうものではないんではないか、っていう私の疑問に答えてくれた本である。

「私」がいて、「私」を表現する服がある。「私」は、年を負うごとに円熟していくのだから、「私」を表現するための服はきっと深みをもったものになるだろう。そのためのファッションを、考えていく際の具体的な道しるべとして最適な本の一冊ではないかと思う。(ちなみに、この本はワードローブの作り方とか、割と具体的に書かれているのでそこらへんも参考になります。)

私のスタイルを探して (新潮文庫)

私のスタイルを探して (新潮文庫)